アドリブ

理論と感覚の絶妙なバランス

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音楽をやっていて思うのは、理論派と感覚派の人がいるなー、ということです。明確にその2つに分けて白黒つけるというよりも、どちらかの要素が濃く出ているからきっとこの人は◯◯派寄りだなあという感じで見ています。

私は自分では理論派の濃度が高い方だと思っています。これは音楽だけではなくて日常生活でも気になったら調べたり分析したくなることが多いので性格的なものかもしれません。

どちらかが優れているというわけではないですが、自分と逆の要素が強い人って羨ましいなーと思うことがよくありました。

先日、ある出来事をきっかけに理論と感覚をバランスよくできると良さそうという気づきがありました。これまで理論派寄りの私が陥っていた罠と、今回の気づきについてお話したいと思います。


アドリブが気持ちよく出てきた

最近ジャズの練習で特にアドリブについてどう進めたらいいか悩んでいました。アドリブのはずなのに、譜面がある曲の練習のように同じ曲の同じ場所で似たようなフレーズになってしまったり、ただのスケールの上り下りになってしまったり。

そんな風にモヤモヤしている中、最近ジャズとは別に練習しようと思っていたStevie Wonderの曲を音源に合わせて遊びで弾いてみました。そして間奏部分でアドリブを弾いてみたら歌うようにスラスラ出てきて気持ちいいくらいの手応えがありました。

理論か感覚かを選ぶとしたら感覚から紡ぎ出されたフレーズなんだろうなと思うくらい最近の自分から出てこなかった自由なフレーズでした。録音していなかったのが勿体ないくらい。

これまで練習の仕方が理論に縛られすぎだったかな?と反省するくらい気づきの多い出来事でした。

理論派が陥りがちなこと

ジャズギターのレッスンに通って一番最初に学習したのは音楽理論でした。コードの成り立ちから、コード上でどのスケールが使えるかなどなど。

アドリブの演奏をするには音楽理論を知っていた方が頭で理解した上で演奏ができ、再現性も高くなります。ただ、それにとらわれすぎると急に縮こまった演奏になるのが音楽理論の落とし穴です。

音楽理論というのはあくまで先人たちのかっこいい音選びを体系立てて説明できるようにしたものです。演奏が先、理論は後ということです。

なので、いちいち音楽理論から合っている音を探しながら演奏しようとしていると、リアルタイムでは処理が追いつきません。これをセッションでやろうとすると、アドリブが頭が追いつくギリギリの四分音符や白玉ばかりの演奏になることが多くなり、かっこよくないので撃沈して帰るハメになります。


感覚にも頼るということ

冒頭に触れたアドリブが気持ちよく弾けた曲は、実は一年前くらいに演奏したことがあってコード進行も覚えている曲でした。

コードの響きを記憶しているので、そこに自分が歌いたい音が感覚的にアウトプットされている感じでした。いつもは左脳で弾いているけれど、この時は右脳で弾いているような感覚になりました。

感覚に頼ると書きましたが、何もないところから感覚で出しているわけではなく、自分の中にコード進行がきちんと落とし込めている前提があったために音楽理論アタマから解放されて自由なソロが出てきたのだと思います。

カート・ローゼンウィンケルさんも言ってた

以前見たカート・ローゼンウィンケルさんのクリニック動画で曲を覚えるのはアドリブの大前提というようなことが言われていました。

曲を覚えて、それを自分の中に落とし込む。ここまでは理論も使えると良くて、その後は自分の中に落とし込んだを自由にアウトプットする。ここからが感覚とかセンスが必要な部分なのだと思います。

動画を見てはいたけれども、実際に体感しないとなかなかしっくりこないものですね。これからの練習のヒントになるような気がしました。練習がんばろっと。