人間は脳の10%しか使われていない。
だから本当の実力が解放できたらどんなにいいか…みたいな都市伝説がありますね。
その真偽はさて置き、思い込みによって制限されるというのはよくある話です。
例えば、「ギターは弦を弾いて演奏する楽器だ」という思い込みがあったら…
押尾コータローさんのようにギターのボディを叩いてパーカッションのように演奏する方法は登場しなかったでしょう。
思い込みによって制限されていることはないか?と少し立ち止まること。
この考え方が、「こういう風に演奏したい!」という思いに対して、可能性を広げてくれるのではないかと感じています。
思い込みと気づけば迷いがなくなる
これは私が以前とある生徒さんにレッスンをした時の話。
弾き語りをしていたけどナイロン弦の音が気に入って、クラシックギターでつま弾きながら歌いたいという方でした。仮にNさんとします。
そこで出てきたのが、左手の親指を使うかどうか問題。
コード弾きでよく見る、親指で6弦を押さえる弾き方です。
どうやらNさんには、
「クラシックギターは左の親指を使わない」
という思い込みがあるようでした。
レッスンでは実際に弾き語りをしているところ見せてもらったのですが、たまに左手親指を使ってしまったことにハッと気づいて直している様子がとてもやりづらそう。
これを見て、私は押さえているコードがきちんと鳴っていれば気にせず親指を使ってもいいと思ったので、そのままお伝えしたら、Nさんの演奏から迷いがなくなりました。
事実の背景を考える
確かに、クラシックギターで左手の親指を使う人をあまり見たことはありません。
「クラシックギターでは左の親指を使わない」は、事実なのです。
なぜそうなったのかを考えてみましょう。
クラシックギターでは、ひとりで伴奏とメロディーを同時に弾くという形式の曲が多く演奏されます。
親指を使って伴奏の音を押さえると、メロディーの音を押さえる指の可動域が制限されてしまいます。
その結果、よく動くメロディーに対応するため、伴奏の音を押さえるのには親指を使わない方が演奏しやすいことが多いという結論になっていると思うのです。
「クラシックギターだから左の親指を使わない」
のではなくて、
「クラシックギターでよく演奏される曲は左の親指を使うとうまくいかないので、使わない」
ということです。
「左の親指を使わない」という結果は一緒なのですが、そこに至るまでの考え方が違いますよね。
私もNさんに出会わなければここまで深くは考えていませんでしたが、こういった思い込みによって制限されてしまうのはもったいないですよね。
「どうしたいか」から方法を導き出そう
楽器の話でなくても、慣習的に行われていることがいつしか当初の目的を忘れられて形だけ残っていることって、よくありますよね。
例えば…ハロウィンと言われたら、仮装を思い浮かべますよね。
なんで仮装するかご存知ですか?
もともとは悪霊に子供たちがさらわれないように守るためのものだったそうです。
このように、私たちは何か理由があってできた慣習をいつしか「当たり前のこと」として捉えるようになります。
それは先人たちの知恵によって「こっちの方がいいだろう」となった結果、後の人が悩まなくて良いように慣習となったので、当然とも言えます。
その一方で、慣習が合わなくなることもあります。これも当然のことです。
なぜなら「どうしたいか」が変われば、方法は変わるからです。
楽器演奏においても日々新しい表現が生まれるような現代では、きっと慣習が合わなくなることも多いはずです。
先ほど紹介したNさんのお話は、親指を使うことが正解だったかどうかはわかりません。
ですが、私は慣れている引き方をして、ギターに気を取られずに楽しく歌いたいんじゃないかな、と受け取ったので「親指を使っても良い」という選択肢をお伝えしました。
「当たり前」と思っていた考え方が、本当に自分がやりたいことと合っているのか、立ち止まって考えてみるのは大事なことです。
何か練習でつまづいたら…自分の思い込みがないかどうか疑ってみると新しい可能性が発見できるかもしれません。